私の人生を振り返る 子宮頚がん入院ブログ投稿後

私の人生の経験

土の時代を終えて~風の時代へ

子宮頸がんの入院の1ヶ月半の投稿を終えて、私だけの経験をつづれたので自己満足しておりました。しかし小さい頃から私にとって衝撃的な様々な経験はずっと頭の中にあってどこかに吐き出してしまいたい思いがありました。衝撃的と言っても大したことではありません。経験値が低いのでそれほどではありません。生まれてからずーーーっと守られていたと、今になって感じています。楽しい事よりも辛く悲しい事のほうが多かったと私は思っています。今もこの事を書いているだけで泣いています。なぜか涙があふれてきます。ずっと誰にも言えなくて、話を聞いてくれる人は今の家族だけです。聞いてくれる人がいるだけで幸せだと分かっています。自分の子供が小さい頃に家族ということで甘えて日々の愚痴を聞いてもらったこともあります。息子が私のサンドバックになってくれていた事に申し訳なく思います。もっと私が大人になって子供には綺麗な物だけみせられたら良かったと後悔しています。しかし息子は私の心の支えです。やっぱり甘えてしまいます。一応、家族の出来事は報告しています。

どうすることもできない今まで自分の中でだけで完結していた、やるせない思いをこのような場所で解放することが私の中のトラウマを解消している事に今気が付いています。やっと私の中のモヤモヤしたものを吐き出すきっかけをもらえた事もうれしいです。今の環境は恵まれていて、ここの土地に来られた事は私にとって本当に幸せな選択だったと思っています。・・・・涙が止まりません。神様、実家のご先祖様、家族、嫁ぎ先のご先祖様、祖父母、親戚、主人、息子、温かく見守ってくれる地域の皆様・・・私を助けてくれた方々に感謝しています。今の穏やかな生活を送れている事にありがたい気持ちでいっぱいです。厳しい昭和時代、実家暮らし~結婚生活の平成の時代をそれぞれの土地の風習で生きて令和の時代に風が吹いて突然、考え方が自由になって心と体が解放されていく新しい人生・・・不思議です。

たまりにたまった服

子供が成人になり実家から出た事で、手がかからなくなって、そろそろ実用を兼ねた自分の趣味でも持ちたいなぁ~と思った時、やってみたかった事は、刺繍、洋服のリフォーム、占いでした。刺繍は飾る目的では無く洋服のリフォームのためのもので刺繍の本は沢山購入しました。・・・がなかなか手先が器用でも無く、大雑把な性格で、本を見るだけで満足している状態です。洋服のリフォームは着れなくなった物を簡単に別の物に出来ないかな?と試行錯誤している状態です。今まで購入してきた自分や子供の服が大量にあります。今の段階は冬服・合服・夏服を分けてそれぞれをまとめて同じ場所へ置いておく事までは出来ました。部屋着と外出用で区別をして引出しに入れたりしました。今まではあちらこちらにバラバラに置いていたので、季節でまとめることが出来てそこから選択出来るようになって洋服を把握出来る様になりました。

部屋着は息子の、お下がりを着る事が多いです。もったいなくて捨てることが出来ません。毎日とっかえひっかえ着ています。それも楽しいです。飽きるまで着てみようと思っています。子育ての経過で私が子供に負けじとモリモリ食事をしていたので、どんどん太ってしまい着れなくなってしまった服をリフォームしようと取って置いたのですが、この度の子宮頸がんで10㎏近く痩せたので、もしかして着れるかも・・・と、この時の片付けで引っ張り出して着てみたら・・・入る、入る、入る・・・うれしい誤算・・・着れる服が増えたって感じです。こんな奇跡もあるんですね。しかしボタンは閉まるけれど、お腹はポッコリです。上着で隠さないとねぇ~やっぱりおばちゃんなのです。食欲も戻ってきたので元の体に戻らないように運動しないといけないなぁ~と日々思っています。毎日おいしく食事が出来ている事も感謝して過ごしています。(∀`*ゞ)エヘヘ 先月の血液検査で血糖の数値が標準値になっているので主治医の先生の意向で2ヶ月ほど糖尿病の薬を中止することになりました。ヤッター!・・・甲状腺機能低下症の薬も半量になりました。ウキウキです。しかし薬に頼れないので自己管理が出来るか?!!!ちょっと不安です。

占いにすがる思い

もう一つの占いについて・・・小さい頃から占いには興味がありました。朝のテレビの占いから一通り参考にして生きて来ました。子供の頃から兄弟の仲が良く無かったので毎日が不安で、私は妹なので待遇も満足するような環境でもありませんでした。何でも兄は許されて私には自由がありませんでした。わがままが言えるような家でも無く、家族サービスするような親でも無く、親の時代の厳しかった生活を延々と子供に言ってご飯が食べられるだけで幸せなんだと言われて育ちました。「橋の下から拾って来て育てた。」とか平気でからかうような父親でした。それでも他にすがる所も無いので、親に歯向かうような事はしないように、ただただ自分を殺して生きて来ました。兄は自分が長男だという自覚があるので何でも買ってもらっていました。かんしゃく持ちの兄を優先にする親でした。兄は初めての子供なのでおもちゃを沢山もらっていましたが私には貸してくれることも無く、一緒に遊ぶ事もありませんでした。兄は勉強ができたので親は他の事には目をつぶっていました。

生活が豊かではなかった事は子供でも分かりました。なので私は我慢する事が当たり前の生活でした。私は家族のサンドバックになっていました。私をさげすんでおけば家族の秩序が保たれていました。私はそれでも愛情を求めて親に甘えるように接していました。父親が私を抱っこして揺らしてくれればフワフワして心地良いものでした。兄はほっといてくれればいいのに私に余計な手出しや干渉をしてきました。家族中から監視されていました。私には自分で選択する事も許されませんでした。「何にもするな勉強だけしていればいい。」という家庭でした。家族旅行など1度も無く刺激も無く、希望も無く覚えることが苦手な私は成績も良くなく劣等感だけの毎日でした。私は救いを求めていました。救いは未来にしかなかったのです。いつかきっと・・・幸せになれると信じて耐えて生きてきました。そんな生活の中で神仏や占いだけが心の支えだったように思います。

家族皆余裕も無くただ毎日をしのいでいく生活でした。母は余り私に心を開いて話をしてくれた事はありません。自分の事でいっぱいいっぱいで、かまってくれることもありませんでした。そういえば内職をしていました。ぜいたくが出来るような家ではありませんでしたが土地持ちだったので母は結婚したのでしょうが、あてが外れたようでいつも機嫌が悪い雰囲気を漂わせる人でした。父は土地持ちの家という事で貧しいのに見栄っ張りな人で、よその人には大盤振る舞いしたりしていましたが家族には少しだけ・・・”武士は食わねど高楊枝”みたいなプライドの高いことを子供に自慢していました。私は世界が狭く父親は偉い人と洗脳されていました。

心強い支え、気付きを教えてくれる日常

今現在は色々ありまして借金はあっても貯蓄はありません。毎日の生活で私もいっぱいいっぱいです。見切り品を見る事も当たり前のように平気になりました。お金を節約するためなら羞恥心のかけらも残っていないほど大胆な行動ができるおばちゃんになりました。しかし夫婦でなんとか乗り切ろうと励まして暮らしています。子供の頃の一体感の無い皆バラバラな家族関係の事を思えば、今、夫婦仲良く暮らせているだけで幸せです。以前タロット占いの雑誌を購入して勉強してみようかな~と本を読みましたが覚える事が多すぎて諦めました。スマートフォンに変更してから動画をみるようになってタロット占いを検索してからずっとハマっています。子宮頸がんの入院の時もみていました。スピリチュアルな動画は私の知らなかった不思議な話も聞けて何となく今までの私の経験がカルマだったのではないかと気が付いたり、恨んでいた事も考えを改めれば、守られていた事に気が付いたりしています。実際実家の家族は私の生活を守ってくれました。感謝しかありません。ありがとうーって思える事もスピリチュアルや啓発動画で知る事ができました。結局、趣味は動画鑑賞とブログを書く事でした。平和な環境でどこに居ても沢山の情報を知れてありがたいです。

このブログを書く事も自分の、とりようですが色々な動画でとても励まされています。私の人生なんて他の人には興味も無い事でしょう・・・がこんな人もいるんだなぁ~と軽く読んでもらえたら私が生きていた事の証明になるな~とか私のカルマの解消にもなるんじゃないかな?とかまた不思議な事を考えています。ただブログの中の私は詳しい事や大胆な表現などは出来ない小心者です。それでも苦しかった過去を書くことで振り返れてそして風の時代に前向きに生きていこうと思えた事は私にとってとても貴重な経験になりました。(書いている時の涙は説明出来ません。でもスッキリしました。)そっと見守って頂きましてありがとうございます。

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